One of 泡沫ブログ

世の中にいくつもある泡沫ブログの一です。泡沫らしく好き勝手書いて、万が一炎上したら身を潜めようと思います。※一部のリンクはアフィリエイトです

空気について

わたしの以前運営していたブログ『One of 泡沫書評ブログ』はもう殆どメンテナンスしていないのだが、たまに覗くといまでも「世捨て人」とか「世捨て人の庵」というキーワードからの流入があるようだ。社畜や非正規雇用などは今のホットトピックであるが、こうした文脈は2013年の現在もいまなお人々の興味をひいてやまないのであろう。

 

『世捨て人の庵』とは、かつて存在した大衆批判のはしりとも言うべきすばらしいサイトなのだが、残念ながら2010年の早い段階でサイトが閉鎖されてしまった(もう3年も経ったようで、時の経つのは本当に早いものである)。わたしはこのサイトをこよなく愛していたので、閉鎖の報を聞くやいなや、つい思い余って追悼エントリのようなものを書いてしまったのである。お時間のある方にはぜひリンク先のエントリを参照していただければありがたい。端的に言えば他人のふんどしで相撲を取っているだけなのだが、わたしがどれほど世捨て人氏を敬愛しているのかくらいは伝わると思う。

 

わたしは個人的な興味から、山本七平氏や井沢元彦氏などの著作をよく読み、いわゆる日本人論をすこしばかりかじっているのだが、世捨て人氏が繰り返し批判している「大衆」というキーワードは、これらの日本人論で言うところでの「日本教」というものそのものではないかと思う。

 

「日本教」またはそれに類する日本人特有のエトスに関してはさまざまな人がさまざまに論じているが、おおよそ次のようなところに収斂するものと思う。 @essa さんの日記に秀逸なエントリがあったので少し引用させてもらうと、「日本教」とはすなわち、次のような言葉で表現されるアレのことである。

 

山本七平の「空気」

阿部謹也の「世間」

河合隼雄の「中空構造」

岸田秀の「内的自己と外的自己の乖離」

井沢元彦の「言霊」

 

この人たちをはじめ、多くの人が日本人の精神構造とそこから来る社会の構造に、何か独特の要素があることを指摘してきた。このエントリでは、それらを総称して「日本教問題」と呼びたい。

 

日本教と原子力問題 - アンカテ

 

わたしは日本に生まれ、日本語で教育を受け、日本で暮らしている正真正銘の日本人すなわち「日本教徒」なのだが、日本教徒としては実に不真面目なことに、日本教の教義を言語化したり、教義を疑ったりするなどの冒涜行為を行っている。さいきんはインターネット上にもちらほら同様の破戒者がいるので心強い限りであるが、やはりリアル社会であまり冒涜を繰り返すと異端扱いをされることも多いため、普段は敬虔な日本教徒として生活を送っている。隠れ切支丹ならぬ「隠れ日本教徒」である。

 

この日本教の教義は密教であるため、口伝や儀式によって伝えられる。そのため理屈でものを考える人などには、何がOKで何がNGなのかが非常にわかりにくい。しかし、残念なことに、日本教では「どういうことですか?」と(言語化した)説明を求めること自体が一種の冒涜に当たるため、そういう不埒な教徒は異端として「面倒くさいやつ」として排除されてしまう。したがって初学者は必死で教義を覚える(=空気を読む)しかない。

 

例えば言語能力が皆無の上司に

「コミュニケーション力が必要です」

と教え諭されたとしよう。その際、あなたは

「わかりました!頑張ります!」

と笑顔で答えなければいけない。間違っても

「コミュニケーション力って具体的にどのような能力でしょうか。可能な限り具体的な事例で説明していただき、また、それを身に着けるための手段や方法があればあわせて教えてください。ちなみに、私が考えるコミュニケーション力とは…」

などと言ってはいけないのである。上司は要するに「空気を読め」と伝えているのだから、日本教徒ならば黙って空気を読まなければいけない。これはできる人には簡単で生き易いだろうが、できない人にとっては理不尽で苦痛を伴う社会であろう。

 

KYというような言葉も一時期はやったが、これなどもわかり易い例であろう。「KYな人は排除される」、これは日本教においては非常に重要な教義のひとつである。「KYなんて気にしなくて良い!」というような反論も、ある種の別の空気を醸成した上で発言されるという、逆説的に空気の恐ろしさを証明するだけであった。空気そのものを分析対象とし、言語化し、相対化して空気そのものを破壊するということは本能的に忌避されるわけである。もちろんこれ以外にも多くの教義があると思うのだが、空気はその全ての出発点と言ってよい根源的な要素といっていいだろう。

 

長くなってしまったがオチがない。ほんとうは空気から派生した「大衆」について論じてみたかったのだが、まとまらないので、それについては稿を改めて論じてみたいと思う。

 

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