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手紙

 

いわずと知れたベストセラ小説家の東野圭吾さんのベストセラ。随分前に読んでそこそこ感動したのだが、さいきんなぜか急に思い出して読んでみたら、ラストで泣いてしまった。歳を取ると涙もろくなるというが本当だ。改めて読んでみると構造的、技巧的には別にそんなによくできた小説ではないように思えるのだが、何か心にくるものがある。というか本を読んで泣いたのは初めてではなかろうか。

 

感動した作品は、心に感じた感情を掬い取ってくれる書評を探すのが常なのだが、残念ながらわたしの感情を代弁してくれる言葉はみつからなかった。見つからないなら自分で書くしかないのだが、そんな芸当ができるなら苦労はしない。わたしの心を打ったのはいったい何なんだろう。アマゾンの書評は悪くないが、そういうことではないとも思う。ヒューマニズムというのか、たぶんそういう文脈ではないのだと思う。

 

構造的に言えば、肉親の犯した罪を社会的に背負うという理不尽さを描く、ということなのだろうが、そう言ってしまうとどうしようもないチープさがただよう。後半、実紀が怪我をするシーンなどは、「立場の逆転」を説教するにはあからさますぎる。平野社長の登場も、テーマを語るという意味においてひどく作為を感じる。こんな人が居るわけないだろう、とつい思ってしまうほどよくできた道化回しだ。露骨過ぎて、これが新人の作品ならば酷評されるのではないか。

 

正々堂々、というのが君たち夫婦のキーワードのようだから敢えていわせてもらうよ。その、いついかなる時も正々堂々としているというのは、君たちにとって本当に苦渋の選択だろうか。私にはそう思えないな。わかりやすく、非常に選びやすい道を選んでいるとしか思えないが

 

だがしかしここでわたしは思うのだ。これは、『白夜行』を書いた東野さんが、このテーマをこのように描いたのはそれこそ狙ってやったのだと。現にわたしはこの作品を何度も通読した結果、涙が止まらないのであるから、こうやって賢しらに解説して感動を解体しようとするのは、いまどき中二でもやらない照れ隠しではないか。

 

差別はよくないとか、思いは伝わるとか、そういう原則が通じない社会の理不尽さ、理不尽さというよりは当たり前にある複雑さというべきだと思うが、そういう個人の力でどうにもならない風景を淡々と描くところにこの作品の意義があると思う。実際のところ、クライマックスで別に問題が解決するわけでもない。剛志が人を殺したという事実は消えず、直貴のまわりの社会が突然変化するわけでもない。結局、殺人者の身内は、日陰者として生きていくしかないというメッセージであるとすらいえる。この「選択肢のなさ」にこそ、普遍性を感じる。わたしが泣いたのもこのへんに理由があるんじゃないかと愚考しつつ、酒を飲んで今日は寝ようと思う。

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