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ポジションを取るということ

金融・投資業界のひとたちはよく「ポジションを取る」という表現をつかう。投資における「ポジション」とは、株を買うとか債券を買うとか、資産をどういう状態で持っておくか、ということを指すことばらしい。もちろん現金で持っておく、というのも立派なポジションの一つであり、金利や物価上昇率など刻々と変化する市場において、短期的・長期的にみて自分にとってもっとも有利な状態を維持しようという活動になっているわけである。

 

わたしは下手の横好きと言うか、実際にずいぶんと損失を出しているのだが、少しばかり国内株(現物)と国内債券(国債、社債)に手を出している。繰り返すがずいぶんと損をしており、中古ならクルマが買えそうなくらいの損失を出しトータルでは完全に負けているのだが、株式・債券投資をとおしてこの「ポジションを取る」という考え・スタンスが非常に腹に落ちるようになった。

 

この「ポジションを取る」という考え方、個人的にはもっとはやく身につけたかったと悔やまれる。いまわたしは30代だが、もっと早い段階、たとえば18歳くらいでポジションについて客観的に思考することができていれば、今頃もう少し人生で成功していたのではないか、という気がするのだ。

 

たとえばこんなことを考える。昨今、ツイッターやブログなどの普及で誰もが簡単に自分の意見を開陳できるようになった。したがってあらゆるトピックに対して皆が自由にコメントしたり、エントリを挙げたりして賛成反対することができる。しかし、この何かに対して「賛成」するとか「反対」の立場を取るとか、何かに言及すること自体がすでに「ポジションを取っている」ことに他ならないのだが、こうしたことを意識している人は少ないように思う。もちろん、言及しておきながら賛否に関しては意見を控えるという「中立」というポジションだってあるし、そもそも何も言わない、ということだってポジションを取っていることになるわけだ。問題は、これを「今回はこれに関してこういう立場を取る」という、明確な意思があるか否か、ということであろう。

 

金融・投資業界の人は、おそらく無意識にこのあたりの行動原理が身についているのではないか、とわたしは思う。常に、取ろうとするポジションに対して、時間軸と、それに対するリスク・リターンをすぐに天秤にかけて、その場その場で判断を主体的に行っているのではないか、と。

 

こうした反射神経が極限まで極められれば、おそらくやまもといちろう氏のようなブログ芸にまで昇華されるのではなかろうか。氏の場合、事業や投資経験などから専門知識やもともとのセンスなどもあってか、余人にはとても達し得ないレベルの芸にまで達していらっしゃるが、あれもやはり、常にボクシングのようなスピード感でディスったり、あるいは応援したり、賛意を表したり、融通無碍の対応が出来るのであろう。のんびり何も考えず生きていてはこうはいかない。

 

今のご時勢、何も考えずにポジションを取る(結果的にポジションを取ってしまう)ことは、即、炎上や社会的損失につながってしまう(たぶん)。だから、意識的にポジションを取っていく必要があるだろう。バランスをとるのは難しいことではあるが、今後ますます拡大するであろうインターネット上の出来事について、少しばかり考えてよいテーマだと思う。