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お金は人を幸福にするか

「お金はあればあるほど幸せ」 米研究で明らかに - AFP News

 

「お金は人を幸せにするか?」というようなテーマ設定は、貧乏人にとってはバイアスがかかりやすい。防衛機制で言うところの、いわゆる「合理化」が働くからだ。「合理化」とは「すっぱい葡萄」のことで、手に入らないものは、悪いものだと判断して心のバランスを取るあれである。商売や経済というものをおおっぴらに語ることがハシタナイと考えられているわが国においてはより顕著な傾向ではないだろうか。

 

「お金は人を幸せにするか?」という問いに対する答えは、言うまでもなく「YES」である。理由はとやかく言う必要もないだろう。まあ、もちろんこれは一般論であり、例外はたくさんあるだろう。

 

ただ、資本主義経済でなくとも、資産は人を幸せにすることはあっても、不幸にすることは殆どない。残念ながら、この当然過ぎるほど当然の、誰でも知っている事実はあまり語られることはないようである。その理由はここでは措くが、結果だけ見ると、資産の多寡と幸せの関係についての統計は、往々にして貧乏人をむやみに刺激させないような話にすりかえられるように思う。たとえば、「宝くじを当てた人が、生活を持ち崩し、友人関係も崩壊してしまい、最後はギャンブルですべてを失った」というような例をひいて「ほれ見ろ、カネがあったって幸せとは限らないんだ」というような話になって、因果関係や相関関係の文脈がいとも簡単にすりかえられてしまう。繰り返しになるが、なぜこうなるのかについての理由は、ここではあえて考えないことにしよう。ここでは結論だけに着目したい。要は、「カネがあれば幸せ」というのは、「不都合な真実」になっているということである。

 

むしろ興味深いのは、人々の防衛機制が物凄く強いことではなかろうか。いや、これは日本人に特有の傾向なのかもしれない。わたしは他国の文化に疎いのでよく知らないのだが、少なくとも日本においては、「カネを持っている人が不幸になる」パターンが好んで消費されているように思える。お金を持っている人は幸せであってはいけない、そんな圧力を感じるのはわたしだけであろうか? もちろん、わたしは金持ちでもなんでもないので、想像するだけなのだが。

 

引用した記事には、こんなことが書いてある:

 

研究の注目点は、収入が基本ニーズを満たすレベルを一定超えるとその効果は薄れていくとした従来説を否定していることだ。2人は論文の中で、所得と幸福感の相関関係に「飽和点」を示す証拠はないとし、「イースタリンの逆説」や類似の学説は誤りだと主張している。

  

「イースタリンの逆説」とは、軽くググって見た限りでは「資産の増加と幸福度には負の相関関係がある」というものだそうだ。要するにカネがあればあるほど不幸になる蓋然性があるということだが、そんなことはない、というのが今回の研究結果なのである。貧乏人にとっての「不都合な真実」を裏付けているということである。

 

本当に資産があるレベル、たとえばForbesのリストに載るようなレベルになれば(おそらく宗教的な理由もあるのかもしれないが)、やることが変わってくるのは何となくわかる。「わかる」というと少し語弊があるかもしれない。要するに、そこまでの資産を生み出せる人たちを、我々のような凡人がその真意を推し量るのは無理だろうということだ。かれらにとっては幸せの意味そのものが、我々の考えるそれと違うのではないか。いや、「お金は人を幸福にするか?」というようなアジェンダで、Forbesの例を挙げるようなまねは本当はよくない。極端な境界値設定は学問においては有効かもしれないが、こういうことは個人的な話に還元しなければまったく意味がない。統計的な結論が得られても、「俺の人生」がどうなるかは関係がない。

 

カネがあれば、親を病院に入れて、あわよくば病気を治すことができるかもしれない。カネがあれば、東京の行きたい大学にいけるかもしれない。カネがあれば、今期の資金繰りをなんとかすることができるかもしれない。カネがあれば、結婚できるかもしれない。カネがあれば…。

 

要するに、そういうことなのです。