「ファミレスで授乳する人…。どう思いますか」 どうも思わないよ
面白人間のワンダーランド、僕らの小町になかなかグッと来るトピが挙がっていたので、脊髄反射してみたいと思う。
どうやらファミレスでランチしているときに、乳児に哺乳瓶ミルクを与えているのがトピ主(この表現自体がすでに面白い)の癇に触ったらしい。にわかには想像しにくい感情であるが、さいきんは「多様性」を大事にする世相である。がんばって少し想像してみよう。
魔法瓶と哺乳瓶を用意してあったということは、最初からファミレスで与えるみたいだったようです。
目に余る光景でした。
こっちは食事してるんです。
食べ物を扱う、しかもこんな人目につくところで授乳するなんて・・・
飲み終わったと思ったら、ゲップまでさせてました。
(中略)
ファミレスの席で、授乳・・・
何度考えても理解出来ません。私の心が狭いんでしょうか・・・。
「心が狭い」とかそういう問題ではないような気がするが、とりあえずこの問題提起は相談小町さんたちにはまったく届かなかったようだ。文字通り総スカンを食らっており、それに対してショックを受けたのか(予定調和なのかもしれないが)、トピ主は次のようなレスを返している。
ええ!?容認してるレスばかりでビックリです!
何とも思わないんですか!?
ミルクだろうと、母乳だろうと、わざわざ人前で飲ませることないじゃないですか。車の中とか、そこらのファミレスのトイレにだっておむつ替えスペースくらいあります。
ミルク飲んでる姿が微笑ましい!?
…その発想はあり得ません。唖然とします。
ミルクだって口から垂れてるし、不衛生です。
(中略)
私は会社員(正職員)で、歳は42です。
子供はいません。(晩婚だったので)
42歳という微妙な年齢設定といい、わざわざ括弧で(正社員)と書くなどの技巧はいかにも釣りっぽいのだが、小町ウォッチャとして経験の乏しいわたしには判断することができない。仕方がないのでガチだと思って話を進めたいが、それにしても本当に釣りではないのだろうか…。にしても(正社員)て…。まあ、いいかw 突っ込んだら負けなのかも。
さて、トピ主の問題提起に対する意見というか反論は相談小町諸氏が色々されているので今更付け加えることはないだろう。「普通だと思う」「そんな気になるならファミレスに来るなよ」「お前の言っている意味がわからん」というものが殆どのようだ。まあ、そうだろう。オムツを替えているというならまだしも、哺乳瓶でミルクをあげていることに嫌悪感を抱くというのは想像の埒外ではなかろうか。あまり「常識」という言い方は好みではないのだが、これについては穏当に「常識的に問題ない」と断じてよいように思う。
してみると、論理的にはなんら根拠のない強引な結論で恐縮だが、やはりこれはトピ主の子供に対するやや複雑な感情が、こうした発言をさせているのではないだろうか。これこそ予断丸出しなのだが。
今の世の中は色々な価値観がせめぎあい、あらゆるマイノリティに対する配慮が必要となってきているが、それでも、一般論としては、女性にとって子供というのは特別な存在なのであろう。ジェンダー的な言説というのは幾層にも建前と本音が積層しており、プリミティブな感情をなかなか表明できにくくしているが、少なく見積もっても6割くらいの人は、自分自身で子供を産んで、母親としての経験をしてみたいと思っているのではないだろうか。世の中には性同一性障害とかLGBTとか、ジェンダーにまつわる色々な状態があるらしいし、所謂ヘテロの方々の中にも、色々な理由から子供が要らないと主体的に判断されている方もいるだろう。が、そういう文脈におけるマイノリティや個人の嗜好に対する配慮と、子供を持つ、という”現象”に対する過剰な気遣いが、やけにこのへんの言論空間を不自由にさせているように思えてならない。
奥歯に物が挟まったようなことを言ってしまった。しかし、この話は幾重にも留保しておかないと本当にやっかいだからくどくど書くしかない。前述のようなことを色々考えながら、さまざまなケースを考慮し、必ずしも一面的な価値観を押し付けているのではない、という前提の上で、あえてトピ主にアドバイスをするとすれば、「トピ主は本当は子供が欲しかったのではないか?」 ということである。
トピ主が「自らの本心に問うてみて」、嘘偽りなく「乳児にミルクを与えるのは不衛生で問題である」と考えているのなら、それに対して科学的に啓蒙したり、あるいは「子育ては実際にやってみたら考えが変わりますよ」的なアプローチをしたりすることが有効かもしれない。そういう文脈であれば、公衆衛生の観点や、公衆道徳という観点で議論の余地があるかもしれない。だが、(穿った見方だが)わたしはそういう問題ではないと思う。
ではどうするのが一番建設的か? わたしは、トピ主自身が「本当は私も子供が欲しかったのだろうか」「子供に対してなにか特別な感情を抱いているのかもしれない」と自問し、その内なる言葉に耳を傾けることが、トピ主にとって価値のある試みではないかと思うものである。なぜ、乳児に反応しているのか、乳児に目がいってしまうのか、そのあたりに鍵があるような気がするからだ。