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日本人というリスク

 

橘玲氏の新刊。どうやら、この本は同じ著者の『大震災の後で人生について語るということ』を「改題して加筆修正したもの」らしく、わたしはネタもとの単行本を買っているのにもかかわらず、迂闊にも買ってしまった。読み薦めていくうちに、あれ、これどっかで読んだぞ?と思ったがそりゃそうである、読んだんだから。

 

以前にも『不道徳な経済学──擁護できないものを擁護する (講談社プラスアルファ文庫) 』という文庫が出たとき、ホイホイ買ってしまったのだが、読み進めていると「あれ、これどっかで読んだな?」ということがあった。これも、『不道徳教育』の文庫化だったようで、橘氏の文庫はこういうトラップが多いw まあ、いんだけどね。

 

本書は著者自ら「私の人生設計論の完成形」と言うように、橘流人生設計の集大成といえる。橘氏の著作に親しんでいる人にはすっと入ってくる内容であろう。

 

著者はまず、Nassim Nicholas Talebの『Black Swan』や、数学者ベノワ・マンデルブロなどの理論を引き合いに、世の中の仕組はベルカーブではなくロングテール、すなわち、世の中は経験的な「明日が予測できる未来」ではなく、突然、今まで想像もしていなかったようなことが起こり、いきなり世の中がガラッと変わってしまう「べき乗の世界」に生きている、と説く。続く第二章からは、日本でこれまで信じられていた4つ神話、

 

「不動産神話 持家は賃貸より得だ」

「会社神話 大きな会社に就職して定年まで勤める」

「円神話 日本人なら円資産を保有するのが安心だ」

「国家神話 定年後は年金で暮らせばいい」

 

をことごとく論破し、こうした過去の神話にすがりつくことが、これからの生き方においてもっともリスクの高い選択になっていくだろう、としている。このあたりは氏の著作に親しんでいる人ならやや「お腹いっぱい」というところであろうか。

 

では、こうした世相の中で、われわれはどのように人生設計を立てていけばいいのだろうか? これに対する橘氏の回答というか、アドバイスがPART2からはじまる。キーワードは「伽藍とバザール」、そして「月並みの世界と果ての世界」だ。これらの言葉はそれぞれ、Eric Raymondの『The Cathedral and the Bazaar』と、Nassim Nicholas Talebの『Black Swan』からの引用らしいが、わたしは原著を読んだことがない(英語読めない上、訳書の『ブラックスワン』はなぜか読まずに売った)ので、完全に橘氏の”解説付き”でなんとなく文脈を理解している。といっても、このあたりは昨今の「ノマド論争」(?)でたびたび議論の遡上に挙がるテーマだから、意識の高いネットユーザたちは概ね文脈を共有しているのではないだろうか。評判社会とか、クリエイティブクラスとか、ポータブルなスキルとか、そういう話である。ただし、この辺の話は、ネットの文脈においてはなぜか「(無能な)サラリーマンvs(スキルフルな)フリーランサ」みたいな対立構造で理解されていることも多く、ある種の扇動的なひとたちは過激な言論をますますエスカレートさせていっているが、橘氏の言っているのはもちろんそういう話ではないので安心してよいと思う。

 

橘氏の本は、はじめは難しくてよくわからなかったが、何度も何度も読んでいるとすっと頭に入ってくるようになった。悪く言えば完全に洗脳されている。その結果、わたしは大してファイナンシャルリテラシやポータブルなスキルがあるわけでもないのに、金融資本でもポートフォリオを組み、人的資本をも分散させようとして、大やけどを負ってしまったw その間、前述の4つの神話通りに伽藍の中で生活している人たちが、少ないリスクで比較的大きなリターンを手にしているのを横で指をくわえてみていた。

 

こうした非常にミクロな個人的経験から一般化するのは恐縮だが、無能な凡人が橘氏の教義を真に受けて行動に移しても何もいいことはないということではないか。本書の内容をぶち壊しにする発言でこの項を終えたいと思う。