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だまされたと言う人には要注意

目も耳も口も節穴だらけの烏合の衆 - いすみ鉄道 社長ブログ

 

新聞はおろか、テレビニュースすら見ないのでまったく時期を逸してしまった感がありますが、それでもわたしの主たるニュースソースであるTwitterやにちゃんまとめサイトなどでも話題になっていることから、遅ればせながら、大きな注目を集めていることがわかりました。何とか河内氏のゴースト問題というやつです。

 

わたしは作曲に明るくないのですが、まあ著名な人の名前を貸したり、元請けのようなかたちで、クレジットに名前が出る人と実際に製作する人が違うということは別に作曲の業界でもあるんだろうな、と思いましたので、最初何が問題なのかよくわかりませんでした。が、その後、後追いで少し記事をいくつか追っかけてみたところ、聾? の方が作曲していたという物語にケチがついたということと、そもそも聾自体が嘘だったのではないか、という二点で批判が殺到しているとのことで、なるほどと腑に落ちました。要するに、消費者(というより、マスコミでしょうか?)の逆鱗に触れているのは

 

・聾者が作曲していたという感動の物語が嘘だったということ

・そもそも聾であるということ自体が嘘である可能性が高いこと

 

この二点が大きな理由になっているわけです。ははあ、なるほど、という気がします。ここから、端的に言うと「だまされていた、感動を返せ!」というような論調につながっていくわけでしょう。よくできたシナリオといえます。

 

第二次世界大戦中、イケイケと戦争を煽っていた新聞社がありましたが、敗戦と同時に、「戦時中は大本営にだまされていた(だからわれわれは悪くない、悪いのはわれわれをだましていた軍部だ)」というようなことを自信満々に書いていた新聞社があったと聞きます。実際、戦争が終わると、「俺は初めから反対だった」という手のひらを返す人間は非常にたくさんいたそうです。それもそのはずで、誰だって戦争の片棒を担いでいたと思われたくありませんから、後出しでポジションを取り直せるものなら誰だってそうしたいはずです。こういう動機があるときに、「だまされていた」というのは非常に便利で巧妙なギミックといえます。なぜなら、実際に戦争を煽っていたことは事実なのですが、その事実を否定せず、矛盾なく自分のポジションを加害側から被害側にスイッチすることができるからです。この場合、悪いのは軍部であり、大本営であり、新聞社はこれらの悪に「だまされた」善良なる社会の木鐸ということになるからです。平和を愛する実に立派な新聞社で、日本の良心です。すばらしい新聞社です。次に手のひらを返すのはいったいいつになるのか楽しみですが、わたしはその新聞をとっていません。

 

大好きな新聞社のことでつい興が乗ってしまい、話が逸れました。それはともかく、「偽作曲家」氏に「だまされた」人たちは、誰にだまされていたんでしょう? なぜ、「だまされていた」というスタンスを取らざるを得ないのか、どういうポジションを守ろうとしていたのか、容易に想像がつくような気が致します。「聾」者が作曲した「感動の」名曲…。こういう、敢えて言いますが「お手軽な」物語を消費したい、という心理こそ、われわれが「だまされてしまう」原因だとわたしは思います。

 

そうなると、あとで「あ、やっちまった」という感情から、「いや、わたしはだまされていただけなんだよ(=だから俺は悪くないよ、悪いのはだましていたTVなんだよ)」ということを言いたくなるのもよくわかります。ですが、それを言っちゃあオシマイというやつですな。どう考えても、だます側とだまされる側に共依存的な関係があるのですから、だまされた側だけが一方的に免責されて、正義面してだます側を断罪するというのは、無粋に過ぎるというものでしょう。