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橘玲を読もう

 

年初に橘玲の新著を続けて二冊読んだところ、近年稀に見るレベルで鬱々とした気分になってしまった。氏の本は基本的にこの世界の身も蓋もない側面に焦点を当て、その残酷さを言語化するというものがほとんどだ。氏の著作における黄金の羽根パターンは、こうした世の中の構造をうまく「ハック」し、「黄金の羽根」を拾って「裏道を行く」というものだが、本書もその一つである。はっきりいって往年の橘読者にとっては「またか」という感じであろう。取り上げるトピックの一つ一つははいずれも最新のトレンドを取り上げているが、論旨的にそれほど新しいものはないといって良いだろう。要するに「いつものやつ」である。故に、橘節が聞きたい人にとっては一種の自傷的な癒しになるに違いない。

 

 

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あれから数年、氏の言う通り(?)それなりに実践してみてつくづく思うのだが、橘理論を実践したところで、幸せになれるとはとても思えない。無論、著者通り黄金の羽根を拾うことができ結果として経済的に成功し、今の言葉で言えば「FIRE」を手にすることができるならこの限りではないが、そんなことが軽々にできるわけがないことはこのわたしが誰よりも証明している笑。最近この文脈においては「FIRE」なるワードが世間を賑わしているが、これなどはわれわれロスジェネ世代にとっては以前2010年ごろにあった「ノマド」「フリーランス」「自由な働き方」云々の流れと何が違うのかとつい斜に構えてみてしまうと言うものだ。また違うハーメルンが笛を吹き始めたのか、と。

 

実際、10年以上前に氏の本に出会い「目覚めた」わたしは、それ以来さまざさまな投資や、転職による「人的資本の拡大」につとめてきたが、その成果は今ひとつである。それなりに資産は増えたが、いわゆるFinancial Independenceを勝ち得るほどではないし、そもそも一度競争的な環境に身を置いてしまったが故に、いまさらこのラットレースから抜け出すことができなくなってしまっている。すでにアラフォーを過ぎたが未だ落ち着けるほどの資産はなく、悠々と壮年期を過ごすことが許されなくなってしまっているわけだ。このままいけば、延々と資本主義のルールに絡め取られ、自由の意味を知ることなくその生涯を終えるに違いない。しかしこれも、典型的な橘ワナビー、被害者の類型であろう。

 

無論貧困なわけではなく、現時点に限ればそれなりに「ゆたかな」生活を送れているわけなので、多くの同世代すなわち「就職氷河期世代」からすればかなり恵まれた部類に入るだろう。しかしながら、はたしてこれが望んだ在り方なのだろうかという問いは消えない。見方によれば贅沢な悩み、典型的な都市型サラリーマンに「あるある」のミドルライフクライシスといえるが、これを後押ししたのは間違いなく橘玲の『黄金の羽根』シリーズと言って良い。つまりわたしは氏の被害者(笑)であるわけだが、氏はわたしのような被害者(笑)に対しても手厳しく、わたしの感覚では「ハシゴを外す」ような本も出している。それが『無理ゲー社会』である。

 

 

公平に言えば、氏が我々のような「笛吹に扇動された愚かな民衆」に対して何の責任を負ってないことは認めねばなるまい。本を出版するのも自由だし、それを読んで実践に繋げるのも読者の自由だし、その結果、果実を得られるかどうかも読者の才覚ひとつだ。ここにはお互いに何の強制もないので、わたし(及び多くの橘ファン)が人生を若干踏み外すことは、論理的には「自己責任」に違いない*1。とは言え、読者の立場からすればどう考えても扇動(笑)されているとしか思えないが、リベラル社会においては、その結果は読者自身が「自由な選択の結果得た結果」として受け入れるしかない。

 

。。。と言うような、「自由意志によりさまざまな選択を行い、その結果を自己責任として受け入れる」と言うイズム、これこそが今の世の中を席巻している「リベラル」と言う思想の特徴であろう*2。氏はこうした「身も蓋もない事実」をまたしても本書によって構造的に分解し、容赦なくわれわれに突きつけている。そしてもっと恐ろしいことに、氏はこれに対する有効な処方箋を何一つ提示せずに本書を終えている。リベラルについて警鐘を鳴らしながら、その処方箋は世界をハックすることだと(別の本で)解き、その本を信者に売りながらも、同時にこんなことは万人に薦められるものではないと免責し、しかもこの「残酷な世界」をどうにか生き延びていくしかない(がその方法はめいめいで考えるしかない)というような本である。これぞまさに橘節ともいうべき、氏の美学であろう。

*1:実際、『裏道を行け』の「あとがき」で「わざわざ断る必要もないと思うが、本書はハックを勧めているわけではない。もちろん、自信があるなら挑戦するのは自由だが」と書いている

*2:学術的な定義はよく知らないので、学問的厳密さを証明したい人はぜひ入門書をご教示いただければ幸いだ