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お笑い芸人のボキャブラリ

漫才などのネタをみていると、

 

”ボケの人が面白いことを言った直後に「微妙な」笑いがおき、その後にツッコミが入ると会場全体が爆笑する”

 

というシーンをたまに見かける。

 

これは推測なのだが、おそらくこういうことではないか。つまり、ボケの人が言っている言葉の意味が瞬時にピンとこないため、観客の頭は一瞬「?」になるのだが、ツッコミの「解説」によってようやくボケの言葉の面白さに気づく、ということだ。

 

全盛期のダウンタウン・松本人志さんがこういう趣旨で語っていたことがある。ネタのレベルがお客より先に行き過ぎていて、ツッコミの浜田さんがボケの内容をわかりやすく解説し、観客の手助けをすることで、ようやく舞台で笑いが成立するというような話である。いささか「上から目線」の感があるが、実際、お笑い芸人にとっても「聞いている人たちの知的・文化レベルをどう想定するか?」というのは、なかなか難しい問題なのではないだろうか。

 

笑いが成立するには、演者と観客の間にある種、同等の知的レベルというか、一定の水準が要求されるとわたしは思う。笑いとはすなわち「ギャップ」だから、たとえば「読めて当然の字が読めなくて、下手を打った」というようなところにおかしみがあるわけだ。しかし、「読めて当然」というところが共有されていなければ、何が面白いのかさっぱりわからなくなるだろう。

 

一見、何も考えてなさそうな(失礼!)芸人さんたちだが、やはり聞く相手の知的レベルというのは、積極的にか、そうでないかの違いはあるにせよ、絶対に意識していると思う。とくに、物事を何かにたとえたりすることが得意な芸風の方々(ダウンタウン松本、フットボールアワー後藤)や、ダジャレや言い間違いなどの言葉遊びを重んじる漫才師(サンドウィッチマン、ナイツなど)は、こうしたことにかなり意識的であると思うが、いかがだろうか? いささか出尽くした感のあるしょうもないお笑い論だが、ご本人にお伺いしてみたいものである。